鬼々よろしく歴史伝⑧〜チーム成長期〜

2018年テーマ

「あしもと」

~空へ空へと 生える蔓(つる)さえ 伸ばした根っこの強さあり~

届かぬ思いに手を伸ばして、追いかけたり現状に不満を言う前に、立ち止まって振り返ってみてほしい。

あなたがこれまで歩んできた道のりは、何よりも素晴らしくかけがえのないもので、光り輝いている。

これまでの足跡を誇りに思い、未来へと一歩一歩、自信をもって進んでほしい。

そんな思いを込めました。

以前の記事でも書きましたが、2016年からテーマ設定の方向をシフトチェンジしました。

「岡山の宣伝」から「人生で大切にしたいもの」に軸を変えました。

毎年のテーマはどうやって考えているかというと・・・・

せんせいの思いつき

これだけです。

10年間ずっとこれです。

せんせいは、夏のうらじゃ本祭中に来年のテーマをひらめき、固めることがほとんどです。
本祭のアツイ雰囲気、鬼々の踊り子たちの様子などを肌で感じて、テーマを考えているんです。

とは言っても、大体の方向を考えておいて、あとは本祭中にアイディアがやってくるのを待つだけ。

先生の愛読書「思考の整理学」(外山滋比古 著)の中に、「寝させる」という章があります。

そこには、こんな記述があります。

イギリスの十九世紀の小説家にウォルター・スコットという人がいる。すぐれた歴史小説を書いて、文学史上、有名である。
このスコットは寝て考えるタイプであったようだ。やっかいな問題が起こる。どうしたらいいだろう、などという話になると、彼はきまってこう言ったものだ、という。
「いや、くよくよすることはないさ。明日の朝、七時には解決しているよ」。
いまここで議論するより、ひと晩寝て、目をさましてみれば、自然に、おちつくところへおいついている、ということを経験で知っていたからだろう。(中略)なぜ、作家の幼年、少年物語にすぐれたものが多いのか。素材が十分、寝させてあるからだろう。結晶になっているからである。余計なものは時の流れに洗われて風化してしまっている。長い間、心の中であたためられていたものには不思議な力がある。寝させていたテーマは、目を覚ますとたいへんな活動をする。なにごともむやみと急いではいけない。人間には意志の力ではどうにもならないことがある。それは時間が自然のうちに、意識をこえたところで、おちつくところへおちつかせてくれるのである。
努力をすれば、どんなことでも成就するように考えるのは思い上がりである。努力しても、できないことがある。それには、時間をかけるしか手がない。幸運は寝て待つのが賢明である。ときとして、一夜漬けのようにさっとでき上がることもあれば、何十年という沈潜ののちに、はじめて、形を整えるということもある。いずれにしても、こういう無意識の時間を使って、考えを生み出すということに、われわれはもっと関心をいだくべきである

「考えよう!」と思って本祭に臨んでいるのではなく、「考えないとな」ぐらいで思っておいて、あとは時の流れに身を任せるという感じです。

天才でもなんでもなく、本当にこうやってアイディアを寝かせていれば、向こうの方からやってくるんですね。

毎年これでテーマが決まっています。

せんせいの頭の中では、本祭中にもう来年のうらじゃを考えているということですね!


話を戻します。

2018年は、振付で新たなチャレンジをします。

それまでは、2分ループの曲で全員同じ踊りでしたが、
2018年は列ごとに振付を変えるスタイルにチャレンジします。

A、B、C、D列で子どもたち・踊り子を分けて、列の移動も取り入れる。

かなり複雑な振付となりました。

また、その振付に衣装も対応。

列によって色を変えられるよう、上着をはだけさせてインナーでカラーの違いを出しました。

色味が多く、見ていて鮮やかな衣装となりました!

写真


2017年は匠を受賞していたので、昨年に続いてガーデンナイトで踊れることに。
2年連続で大きなステージに立てたことは、子ども達・踊り子にとっても、支えるスタッフにとっても
貴重な経験となりました。

また、この年は多くの方の思いがつながり、大旗がうらじゃ本祭で復活することになりました。

下石井公園、中央町公園、市役所筋パレードと、限られた会場のみでしたが、
久しぶりに見るうらじゃ本祭の大旗を見て、感動したのを覚えています。

そんな大旗(フラフ)も加わった鬼々のガーデンナイトの演舞がこちら。

この年、第25回うらじゃにて鬼々は、

ハレマチ子ども演舞場賞(日曜)

を見事受賞します!

子ども主体のチームとして活動しているわたしたち。
子ども演舞場賞で評価をしていただいての受賞、ありがたい思いがいっぱいです!


チーム結成8年目のこの年。

大きな教訓を得ました。

人に見られている意識を忘れたとき、人は心に慢心が生まれる

これはチームではなく、わたし個人の教訓です。

2016、2017と連続で総合審査で最優秀賞、優秀賞と受賞をしたので、
「この方向で間違ってなかった。うらじゃで子どもを育てるという道は合っているんだ。」と確信したと同時に、

「これでいいんだ。」という安心も生まれました。

そしてその安心は、時間が経つと次第に「慢心」へと変わっていきます。

「2年連続で総合審査で受賞できたんだし、次も大丈夫だろう。」
「鬼々の強みをアピールすれば、評価してもらえるだろう。」

そんな思いが、心の中で大きくなっていきました。

そうなると、黒の絵の具のように一気にその心は心の中で広がっていきます。

「これでいこう」と自分のアイディアについて、幹部からの納得を得るための説明を怠ったり、
「感じてください」的に言葉少なめにプレゼンをしたり、
楽曲や振付、衣装で細かい部分を自分自身が煮詰め切れておらず、
「これで大丈夫」と思って細部にこだわらなかったりしました。

2018年は、誉・匠の受賞を逃しました。

頑張った子どもたち・踊り子を「受賞」という形で報いてあげることができませんでした。

全ては、わたしの責任です。

わたしの慢心のせいです。

人は、慢心が出始めると、面白いほどに後退するし、信頼もなくしていきます。

そして、その渦中にいると、なかなか自分では気づけないものなのです。

「このままの自分ではいけない! もう一度、気を引き締めなおさないと。」と
改めて決意を固め、子どもたち・踊り子が成長できるチームを目指そうと誓いなおした年になりました。

鬼々よろしく魁望蓮は「うらじゃで子どもを育てる」とテーマを掲げていますが、
実はチームに関わる大人も、毎年成長しています。

わたし自身、2018年の教訓は今でも胸に刻み込まれています。

「一番成長した年は?」と聞かれたら、間違いなく「2018年」と答えます。

それぐらい、悔しくて、自分を振り返り、再び頑張ろうと思える年でした。


もちろん、「受賞が全てではない」という意見もあるでしょう。

確かにそうです。

しかし、わたしはあえて言う。

鬼々よろしく魁望蓮として、受賞をしたい。

なぜなら、うらじゃが子ども「も」活躍できる祭りであることを証明し続けたいからです。

また、頑張って練習した子どもたちを報いるためにご褒美をプレゼントして、
「努力はむだではない」と教えたいからです。

これまでの受賞の結果から、それが達成不可能なことではないと確信を得ています。

これから鬼々がやることは、ただ1つ。

新しいことにチャレンジし続けること

これだけです。

子どもたちにチャレンジ精神を育てるためには、
チームが、そしてチームを動かす大人がチャレンジをし続けることが必要です。

チームとしても、個人としても成長することが、これからの鬼々の発展のカギです。

その挑戦を続けていけば、うらじゃが「子どもたちもすごい祭り!」として認知される日がそう遠くない未来にやってくるでしょう。

多くのことを学び、次への大きなステップとなった2018年でした!

◇鬼々アーカイブス◇

この年、イメージ画像を外部に制作依頼しました。

スーパークリエイターのtakaさんです!
テーマ、裏テーマまで見事に表現してくださいました。

そして、2018の歌詞がこちら!

下線部が煽り文言です。

もちろん、さぁさぁの「鬼々節」も入っていますよ!

思い出深い2018年をお送りしました!

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

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